人は言葉で全てを伝えることは可能なのか?

言葉雑記

僕は言語で人間の全てを伝えることは不可能だと思う。

理由は、人の「感情」を「言語」という物で表現し切ることは不可能だと思っているから。

例えば人が「嬉しい」という感情を持ったとする。

その「嬉しい」という感情をどのように表現しよう?

「めっちゃ嬉しい!」

「人生で1番嬉しい!」

「転がり回りそうな程嬉しい!」

「私が今まで味わってきた苦痛を全て忘れ去るくらい嬉しい!」

様々な表現があると思う。

どれも「嬉しい」を表した表現だ。

しかし色々装飾をつけたところでその本当の「嬉しさ」は伝わらない。

各々が経験した「嬉しい」を想像させているだけなのだ。

自分の思ったことを伝え、

相手の想像がそのことを想像する。

それだけのことに過ぎない。

言語では難しいが、これに「表情」や「行動」が加わったらどうだろうか?

「表情」が加わるとかなり伝わる。

というか

「表情」があれば「言語」がなくても伝わる。

僕はそう感じている。

そのボキャブラリーでどこまで理解できるのか?/英、仏、西、露、中、朝、日語の頻出順単語リストとカバー率
 下のグラフと表は、各言語の使用頻度の順位で上位n番目までの語彙が一般的なコミュニケーションにおける語の何%を占めているかを示したものである。以下では、データ元の文献に従い、この割合を「カバー率」と呼ぶ。(クリックで拡大)(出所)玉村文郎編(1989・90)『日本語の語彙・意味』(上・下)明治書院、占部匡美「日本語教育...

上記の記事では

「使用頻度上位から5,000語を覚えることでどの程度言っていることを理解できるのか」

ということが書かれているのだが、

その中で

日本語は「81.7%」

スペイン語が「92.5%」

英語が「93.5%」

フランス語が「96%」

と書かれている。

日本語がいかに面倒な言語かが伺える。

他の国が表情豊かに話す理由も良く分かる。

ある程度は「言語」で、そこから先は「表情」「身振り手振りで」といった感じなのだろうと思う。

僕は聾の家庭で育ったので、

ジェスチャーの大事さは良くわかっているし、

ジェスチャーも一つの言語ということを理解している。

文章だと冷たく感じる、というのもとどのつまりそういうことだと思う。

文章には血が通わない。

そこで余程引き込まれる文をかける人間は「文豪」として知られた人なのだろう。

大抵の人はそうじゃない。

一時流行った「マジ卍」

そういった言葉は完全にニュアンスで生きている言葉である。

誰にでも伝わるわけではないが、

完全に本来の意味とはかけ離れた、定義という定義を持たない言葉である。

それを後の人が見て理解できるだろうか?

そもそも言語は誰がどうやって決めた物なのだろうか?

表現力を増やすために本を読む。

確かに表現力はつくかもしれないが、

人の感情を文に置き換えることなんてできるのだろうか?

完全には無理だと思う。

結局今ある言語に意味を付け加えるには

異常なほどの発信力が必要なので

一般市民の僕には無理だ。

「あいうえお」にこういう意味を持たせよう!

と言ったところで

無駄である。

そもそも「言語に対する理解」はある程度皆共通だとしても

「言語に対するイメージ」は人それぞれである。

その「相手のイメージに合わせて話せる人」が「話上手」というやつなのだろう。

そしてそのイメージをうまく組み立てて売り上げを立てる文章を書くことを

「セールスライティング」というのだろう。

たくさんの言葉のイメージを組み立てて相手を操作して誘導する。

これが「セールスライティング」なのだろう。

人は「伝える」ために色々なものを利用する。

文字だけでは足りないと思えば

\\\\٩( ‘ω’ )و ////

こういった「顔文字」を開発し

☺️

こういった「絵文字」を開発し

こんな装飾をつけたり

こんな装飾をつけたり

面白いですよね。

それでも人が自分の思ったことを100%、言語で伝えることなんて不可能だと思うんです。

そんな中でも文を読んでいる相手に向かって

自分のことを知ってもらったり

物の良さを伝えたり

人の心を動かしたりしてる

「ブロガー」さんや「ライター」さんて

尊いなって思った

そんな今日でした。

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