僕は言語で人間の全てを伝えることは不可能だと思う。
理由は、人の「感情」を「言語」という物で表現し切ることは不可能だと思っているから。
例えば人が「嬉しい」という感情を持ったとする。
その「嬉しい」という感情をどのように表現しよう?
「めっちゃ嬉しい!」
「人生で1番嬉しい!」
「転がり回りそうな程嬉しい!」
「私が今まで味わってきた苦痛を全て忘れ去るくらい嬉しい!」
様々な表現があると思う。
どれも「嬉しい」を表した表現だ。
しかし色々装飾をつけたところでその本当の「嬉しさ」は伝わらない。
各々が経験した「嬉しい」を想像させているだけなのだ。
自分の思ったことを伝え、
相手の想像がそのことを想像する。
それだけのことに過ぎない。
言語では難しいが、これに「表情」や「行動」が加わったらどうだろうか?
「表情」が加わるとかなり伝わる。
というか
「表情」があれば「言語」がなくても伝わる。
僕はそう感じている。
上記の記事では
「使用頻度上位から5,000語を覚えることでどの程度言っていることを理解できるのか」
ということが書かれているのだが、
その中で
日本語は「81.7%」
スペイン語が「92.5%」
英語が「93.5%」
フランス語が「96%」
と書かれている。
日本語がいかに面倒な言語かが伺える。
他の国が表情豊かに話す理由も良く分かる。
ある程度は「言語」で、そこから先は「表情」「身振り手振りで」といった感じなのだろうと思う。
僕は聾の家庭で育ったので、
ジェスチャーの大事さは良くわかっているし、
ジェスチャーも一つの言語ということを理解している。
文章だと冷たく感じる、というのもとどのつまりそういうことだと思う。
文章には血が通わない。
そこで余程引き込まれる文をかける人間は「文豪」として知られた人なのだろう。
大抵の人はそうじゃない。
一時流行った「マジ卍」
そういった言葉は完全にニュアンスで生きている言葉である。
誰にでも伝わるわけではないが、
完全に本来の意味とはかけ離れた、定義という定義を持たない言葉である。
それを後の人が見て理解できるだろうか?
そもそも言語は誰がどうやって決めた物なのだろうか?
表現力を増やすために本を読む。
確かに表現力はつくかもしれないが、
人の感情を文に置き換えることなんてできるのだろうか?
完全には無理だと思う。
結局今ある言語に意味を付け加えるには
異常なほどの発信力が必要なので
一般市民の僕には無理だ。
「あいうえお」にこういう意味を持たせよう!
と言ったところで
無駄である。
そもそも「言語に対する理解」はある程度皆共通だとしても
「言語に対するイメージ」は人それぞれである。
その「相手のイメージに合わせて話せる人」が「話上手」というやつなのだろう。
そしてそのイメージをうまく組み立てて売り上げを立てる文章を書くことを
「セールスライティング」というのだろう。
たくさんの言葉のイメージを組み立てて相手を操作して誘導する。
これが「セールスライティング」なのだろう。
人は「伝える」ために色々なものを利用する。
文字だけでは足りないと思えば
\\\\٩( ‘ω’ )و ////
こういった「顔文字」を開発し
☺️
こういった「絵文字」を開発し
こんな装飾をつけたり
こんな装飾をつけたり
面白いですよね。
それでも人が自分の思ったことを100%、言語で伝えることなんて不可能だと思うんです。
そんな中でも文を読んでいる相手に向かって
自分のことを知ってもらったり
物の良さを伝えたり
人の心を動かしたりしてる
「ブロガー」さんや「ライター」さんて
尊いなって思った
そんな今日でした。
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